みんな役者ですよね



 

 


 

私の性格として、自分がどうありたいかよりも、人にどう見られるかを気にしてしまう、というのがあるかもしれないなと思います。

 

表向きでは、人がどういう評価を自分にしようが関係ないというか、そんなの勝手に評価させといたらいいじゃないか、くらいのことを考えているようにふるまっていますし、実際にそのように生きたいなとも思っています。


しかし、よくよく考えてみると、こんな風にしたらこう思われてしまうのではないか、変な印象を持たれたらまずいのではないか、ということを思いながら日々を過ごしているのかもしれないなと思います。

 

良い意味では、他人に誠実に生きようとしているのかもしれませんが、悪い意味では我慢して無理をして、常識人のようにふるまいながら生きているような気もします。

 

もっと自由に生きることができたらいいと思っているのにそれができていないというか、そうすることはあまり良いことではないかもしれないと思いながら生きているというか。



自分自身の矛盾


 

難しいなと思うのは、私自身も全部が全部自由に生きたいとは思っていないということです。

 

例えば、セミリタイア生活に入られている人の中には、結婚や子どもを持つことを半ばあきらめてそういう生活に入っている人がいます。

 

私の場合、そこまでしてセミリタイア生活に入ろうとする意思がないというか、セミリタイアはしたいのだけれども、結婚生活もなるべく維持できたらいいなと思っているというような感じです。

 

もともと私は、比較的一人で過ごすことが好きで、あまり多くの他人とは深い関係を構築しないで生きてきました。

 

SNSでの友人の数とか、少ない方だと思います。

 

今でも、妻や子どもが家を空けて、まるで独身のようにふるまえる時間は確かに自由で楽しく、なんて最高な時間なんだとすら思います。

 

一方で、もしも本当に孤独になってしまったら、それはそれでさみしいと思うのではないかと思うのです。

 

まずは、家族がいるから孤独ではないんだという前提があるから、ひとりの時間も楽しめているというような感じです。

 



社会的な演技



さらに、家族がいることである種、自分は常識人ではありますよ、という対外的なポーズも取っているのかもしれないと思うことがあります。

 

よく、40歳になると、結婚経験のなかった人よりも、バツイチの方が信頼度が高まるなんて話があると思います。

 

少なくとも1回は結婚できたのねというのがむしろ信頼感を高める要素として働くという理屈のようですが、結婚して子どももいて、仕事が順調でもめちゃめちゃ浮気しているような人もいます。


まあそんな人が家族を続けていける秘訣みたいなのはむしろすごく知りたいですが、それが信頼感のある行動なのかどうかははてなマークです。


いずれにせよ、社会的に信頼感のある人というイメージを持ちたいという思いは私の中にあると思います。


演技しているのだと思います。


なお、子どもがかわいいので、子どもと一緒にいたいというのは確実にある感情で、それは社会的な信頼感の云々とは全く関係ありません。

 

 


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1 件のコメント:

  1. 人によるかもしれんが、ぶっちゃけ一人でもそんなさみしくないよ。思っていたよりもずっと快適で拍子抜けしたくらいだ。

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