オンラインでのやり取りの場合、相手の状況が読めないことにリスクがある、とよく言われます。
もしも目の前にいる人に話しかける場合は、その人が今何をやっていて、どういう心理状況ぽくて、こちらから話しかけても大丈夫かどうか、どういうトーンで話しかければいいか、みたいなことをある程度判断、想定しながらになります。
一方で例えばメールを送る場合は、そもそも相手の人が何をやっているのか、どういう心理状況なのかなどが分からないまま送ることになってしまいます。
同じ内容のメールを送ったとしても、受け取る側の状況次第ではとらえられ方も違うでしょうし、そこに言葉の選び方やトーンなどの要素が入ってくると、さらに受け手からのとらえられ方が想像できません。
話しかける際には冗談ぽいトーンで言えることを文字にするときつく見えるなんてことは誰しもが経験があることではないでしょうか。
よく、夜中に書いたラブレターを翌朝見直して顔が真っ赤になる、というように言われますが、自分が書いた文章ですら、状況次第で自分の受け取り方すら変わってしまうわけですから。
私の場合
私の場合も、メールを送る際には言葉遣いやトーンになるべく気を付けるようにしていますが、それでもメールを送るのが苦手に思う人がいます。
苦手に思う理由は、そもそもはその人のことが苦手なので、私から送ったメールによって相手がどういう反応をしてくるかが読めない、ということと、さらに返信が来た場合に、どういうトーンでの返信なのかが読みづらい、ということです。
相手からの返信については文面などを観れば何となく、機嫌がいいのか悪いのか、とか透けて見えてくるような気はしますけれども、それが分かりそうだからこそ次の返信がやりづらい、なんてこともあります。
また、思わせぶりな、察しろよ、考えろよ、的なメールをしてくる人はとても苦手です。
メールこそ要件を明確に
そもそも上記のような理由があるからこそ、メールでのやり取りってわかりづらい部分があって、だからこそ相手に伝わるための工夫をした方がいいのではないかと私は思っているので、相手の受け取り方に委ねてしまうようなメールは非常にまどろっこしいというか、それは直接のコミュニケーションでやるべきことではないかと思ってしまいます。
偉い人から、そういうメールが来ることもあるので、対応は対応でしないといけないことだと思いますけれども、受け取り方があやふやになる分、一回ずれるとずっとずれ続ける恐れがあるのがメールなどの文章だけのコミュニケーションですので、それを助長してどうする、と思ってしまいます。
直接のコミュニケーションならまだいいのです。
せめて、という意味で、まだ、ですけれども。
一応、相手が何を言わんとしようとしているのかなということを考えながらやりとりができますから。
ただ、そういう相手になにかを察しさせようとするコミュニケーションをする人は、その人が察してほしい内容をこちらが察しない限りは納得しない傾向にあります。
他に別の納得できそうな答えを聞いて、まあそういうこともあるよね、というようにはなかなかなりません。
自分はあなたよりも優れた考えや答えを持っている、だからこそそれに気付いてほしいがあなたは気づけるか?という態度で接してくることが多い気がします。
私も反省
かくいう私も、会社に入ってきた新人の教育をする際に、似たようなことをしてしまった思い出がありますし、改めて考えると、いまだにしていることもあるかもしれません。
特に、ストレートに「なんで?」という質問をする際なども、その答えを聞く時の態度にでます。
相手の答えを見定めるような態度になってしまうのか、相手の意見を聞きたいと思われるような態度になれるのか、コミュニケーションというのは重要ですね。
相手に気付いてほしい、ということも、それ自体が問題なのではなく、であればそのために相手とのどうコミュニケーションするのかを気を付けましょう、ということなのだと思います。
俺はメールの方が圧倒的にやりやすい。情報が少ない分あれこれ考えずに言いたいことだけ言えるので
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