目的志向の功罪




セミリタイアに向けてもそうですが、セミリタイアがしたいのではなくて、なぜセミリタイアをしたいのか、の方が大事と言われます。

セミリタイアというのはあくまでも手段であって、目的ではないからです。

その通りだと思います。

仕事をしていても、目的と手段を履き違えるなというのはよく言われることです。

目的を考えるのはとても大切で、何をやらなければならず、何をやらなくてもいいかがハッキリします。

効率的ですし、道筋がクリアになります。

目的主義の罪

一方で、何にでも目的を求めるのは私はナンセンスだと思っています。

例えば、日本人的感覚で言う、つきあい、というやつです。

別に自分がやりたいわけではないし、生産性もないけど、無下に断る理由もないので、少し自分の時間を相手のために割くとかは、日本人にはよくあるのではないでしょうか?

それが全て問題ないかと言われると、まあ本当に無駄なこともあるので、問題はあると思います。

ただ、その一時の無駄によって、関係性が深まったり、リラックスすることができたりというのはありえるでしょう。

また、多くの人の行動論理は、なんとなくの場合が多いわけです。

それに全て付き合う必要はないですし、目的をはっきりさせる必要がある場合もあると思いますが、全ての行動を目的ベースで行おうとするのは問題だと思います。

例えば私は、創造性や柔軟性が欠如する危険性がある思います。

目的は論理的に決まります。

そして、その目的から外れた道筋は論理的に排除されがちです。

そうすると、確かに効率的ではあるものの、新しい発想や気づきを知らず知らずに排除するようになると思うのです。

目的が完璧に設定されていたら、まだいいのかもしれませんが、そうなっているかどうかは誰にも分かりません。

「ちょっと今の話題とは違うかもしれませんが、」から始まる意見が、本当に違っていることもありますが、ああそれってこういうことが言いたいんですか?その視点からなら〜、という議論につながることもあると思います。

それを、目的とは違うとばっさりやっていると、そもそも誰も意見を言ってくれなくなります。

いえ、ばっさりやらなくてはならない時はあるのです。

いつもそれではダメだという話です。

なんでセミリタイアしたいの?仕事が辛いから。

というのは確かに、目的と手段がごっちゃになっていますが、ある瞬間にそう思ったっていいと思いますよ。

目的は時々問い直すくらいの方が、息が詰まらないと思います。




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